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「もう1番の座を…」

  入学して最初のテストである1学期の中間テスト。その結果が出て、次男は表情を歪めて帰宅した。聞くと担任教師から「もう1番の座を明け渡したのか」と言われたと悔しそうに吐き捨てた。落胆した様子から、余程悪かったのかと想像した。見ると、学年2番だった。想像に反する成績にある意味驚いた。

 中学校と高校では、ある意味期待されるものが違う。中学校では比較的簡単な問題に完璧に答える能力が求められるのに対して、進学校である高校では、困難な問題に対応する能力を期待される。入学試験の成績が良かったからと言って、その後の成績に完全な相関関係があるわけではないのである。それを十分すぎるほど知っていた私は、次男の成績には期待はしつつも、大きな不安も同時に抱いていた。それに、そもそも1ないし2割を占める推薦入学者の中に、どんな能力を持つ仲間がいるのか分からない。その辺りを理解していた次男は成績そのものに落胆していたわけではなかった。担任教師の言い方に傷ついていた。

  私は日本最高峰の大学に、20人から30人の合格者を出す高校の2番は、親の期待を上回る凄い成績であることを伝え、次男の頑張りを慰労した。

  アドラーの子育て理論や技法を学んだ親は、子どもの勇気を挫くような言い方をしない。この担任教師は、次男に慢心を戒め、将来を激励したしたはずである。その心情は容易に推察出来る。しかし、そのような言い方に慣れていない次男には、一種のカルチャーショックなのである。一般社会の中では、行為は場合によっては存在そのものまで否定される出来事が実に多い。次男は大学院の後期博士課程に進学してからも、厳しい指摘を受ける体験を積んだ模様であるが、部分的否定への耐性は、勇気づけの中で育った子ども達が共通して内在する弱点であるように感じている。

 1学期の中間テストで1番となった生徒とは、その後卒業するまで、互いを意識するライバルとして切磋琢磨してゆくことになる。

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